若松光一郎・紀志子について
1914年 福島県石城郡湯本町三函179(現いわき市常磐湯本町三函179)に生まれる
1927年 福島県立磐城中学(現磐城高校)に入学。
美術クラブ「X会」に入り、近藤広記、柴田善登に学ぶ
1934年 東京美術学校(現東京藝大)油絵科に入学、藤島武二教室に入る
1938年 東京美術学校油絵科卒業
1941年 第6回新制作派展において新作家賞受賞
1944年 第9回新制作派展において岡田賞受賞
1945年 広島にて終戦を迎える。8月6日爆心地より5kmで原子爆弾を被爆
1948年 福島県総合美術展運営委員になる
1949年 個展(マルトモホール いわき市)
1951年 第5回福島県総合美術展において県教育委員会賞、福島民報賞受賞
1955年 第1回ユマニテ展(マルトモホール いわき市)
1956年 佐藤忠良、中谷泰、竹谷富士雄、鳥居敏文、吉井忠、森芳雄、朝倉摂、
鈴木新夫らと常磐炭鉱をスケッチする
第20回新制作協会展において新会員に推挙される
1962年 福島工業専門学校講師となる。以後1985年まで続ける
1963年 初個展(竹川画廊 東京都)
1968年 個展(平市民会館 いわき市)
1970年 個展(草野ホール いわき市)
1973年 福島県文化功労賞受賞
1976年 いわき市民ギャラリー設立、会長に就任
1977年 現代日本の抽象絵画展(岡山県総合文化センター 岡山市)
1983年 第1回地域文化功労者文部大臣賞受賞
若松光一郎展(ストライプハウス美術館 東京都)
1984年 つれだっていわきを描いた作家たち展(すまいギャラリー いわき市)
現代東北美術の状況展(福島県立美術館 福島市)
1985年 若松光一郎半世紀の歩み展(いわき市立美術館 いわき市)
1991年 線の表現一眼と手のゆくえ・展(埼玉 県立近代美術館 浦和市)
ロンドンのジャパン・フェスティバル'A NEW WAVE'展
1995年 11月7日6時死去 81歳
1996年 若松光一郎の世界展(財団法人 池田20世紀美術館 伊東市)
2010年 若松光一郎展 律動する色彩 (いわき市立美術館 いわき市)
1915年 京都市に生まれる(旧姓樹下)
1933年 東京府立第六高等女学校卒業、東京音楽学校(現芸大)本科ピアノ科入学、
高折宮次、パウル・ワインガルテン教授に師事
1937年 東京音楽学校卒業、新人演奏会出演、東京音楽学校付属児童学園講師、
東京府立第六高等女学校卒業ワカバ会講師
1939年 若松光一郎と結婚
1945年 福島県湯本町に疎開
1946年 ピアノ研究教室アザミ会を創設
1952年 磐城高校講師就任
1957年 第1回全東北ピアノコンクールに永野美佐子、最年少で優勝、文部大臣賞受賞
1962年 郡山女子大学短期大学部音楽科教授に就任、福島高専の講師就任
1964年 磐城高校合唱部、合唱コンクール県大会男声の部第2位 、
東北大会男声の部第2位入賞
1968年 アザミ会20周年記念演奏会を平市民会館で開く
1970年 安川加寿子先生を招いて平信用金庫ホールで公開レッスンを開催
第2回市民文化祭参加選抜演奏会に小林祐子、若松すなお賛助出演
1976年 アザミ会30周年記念演奏会をいわき市平市民会館にて開く
1988年 日本ピアノ教育連盟 東北支部副支部長、全国評議員中央運営委員に就任
1995年 11月 夫 光一郎死去
1996年 9月1日アザミ会50周年記念コンサート開催 出演者 小林研一郎、岡崎光治、
柴田依津子 他
2000年 福島県文化功労賞芸術部門受賞
2003年 4月12日アートスペースエリコーナ オープン
2005年 卒寿(90歳)記念コンサート
出演者 小林修、関孝弘、小林亜矢乃、門井睦 他
2010年 95歳誕生日 記念コンサート 出演者 磐城高校音楽部OB 他
2012年 4月23日午前零時35分死去96歳
2012年 7月14日お別れの会